陸前高田の松原展望の絶景地点という場所でガイド新沼さんの説明を聞く
正面の白い構造物が両脇の堤防が跡片もなくなり、これだけ残った水門
左手の方に伊達正宗の時代から創られた美しい松原があったとのこと
市庁舎前で合掌した後説明を聞く
この市庁舎の右手に体育館、正面に公民館があり、それぞれ避難所になっていた。どちらも避難した方が百人以上亡くなったとのこと。避難所の記憶と防災の反省を残すため建物を保存すべきとの意見もある。が、年度内に処分しないと国の予算がつかないので近く壊すことが決まった。
(市庁舎の左手裏に同じ高さのスーパーマーケットの残骸があった。ここでは客も従業員も全員高台に避難して一人の死者も無かったという。何がいいと簡単には言えないが、検証が必要か)
この間にも、市庁舎や公民館あとなどを訪れて合掌する人が絶えなかった
瓦礫の撤去がすすむ
一本残った松を保存するとの話は大きく報道されていたが、地元では異見もあったようだ。土地をかさ上げして現在地を復旧する方針だが、5年後、8年後、10年後にどこまで進んでいるのか。地元の人の話は、いつまでかかるか分からないという本音と、短期間の復旧を期待する二つの間を行きつ戻りつしているように聞こえる。
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