2012年11月25日日曜日

陶芸教室 冬 2012年 井崎陶工房

井崎陶工房・陶芸教室の最近の作品です。
①菓子鉢、伊賀土の皿と碗・・・“手びねり”のAさんの作品
②萩土のマイカップ、白マット釉の皿、呉須釉の碗・・・・INさんの作品
③葛の葉や蕗の葉などを押した皿・・・・Tさん、WSさんの作品
④萩土白萩釉のぐいのみ、伊賀土白マット釉の鉢、木灰釉の皿、鉄赤に天目釉二重掛けの皿と蓋物・・・・・Mさんの作品
・・・・どれもいいものができました・使うのが楽しみです・・・・・






2012年11月14日水曜日

近況 旅行 東北 10月

市街地として被害が最も大きかったと思われる陸前高田市 町がひとつ全くなくなった様子
陸前高田の松原展望の絶景地点という場所でガイド新沼さんの説明を聞く
正面の白い構造物が両脇の堤防が跡片もなくなり、これだけ残った水門
左手の方に伊達正宗の時代から創られた美しい松原があったとのこと
 
 
市庁舎前で合掌した後説明を聞く
この市庁舎の右手に体育館、正面に公民館があり、それぞれ避難所になっていた。どちらも避難した方が百人以上亡くなったとのこと。避難所の記憶と防災の反省を残すため建物を保存すべきとの意見もある。が、年度内に処分しないと国の予算がつかないので近く壊すことが決まった。
(市庁舎の左手裏に同じ高さのスーパーマーケットの残骸があった。ここでは客も従業員も全員高台に避難して一人の死者も無かったという。何がいいと簡単には言えないが、検証が必要か)
この間にも、市庁舎や公民館あとなどを訪れて合掌する人が絶えなかった


陸前高田市庁舎横の体育館 

瓦礫の撤去がすすむ
一本残った松を保存するとの話は大きく報道されていたが、地元では異見もあったようだ。土地をかさ上げして現在地を復旧する方針だが、5年後、8年後、10年後にどこまで進んでいるのか。地元の人の話は、いつまでかかるか分からないという本音と、短期間の復旧を期待する二つの間を行きつ戻りつしているように聞こえる。

2012年11月13日火曜日

近況 旅行 東北 10月

岩泉、宮古周辺被害の少ないところでも生産手段の喪失、観光客の激減で復興の取り組みはこれからの状況
さっぱ舟
北山崎展望台から
三陸鉄道田野畑駅から陸中野田駅まで乗りました。
宮古で泊まったホテルの空き地には数百戸の仮設住宅に千人が居住。狭い土地にびっしりと建つ仮設住宅はテレビで見る印象とは全く異なり、生活の困難さがうかがえる。その先々で出会った道路脇の狭い駐車場に建つ仮設住宅などは周囲に何もなく孤立した小集落。車がなければ何もできないところで、何年も暮らさなければならない苦労がしのばれる。

近況 旅行 東北 10月

10月下旬東北へいきました。被災地を通るツアーは、企画した旅行社もそのようでしたが、参加する旅行者としてもちょっと気が引けるような気持がありました。ところが、やはり行って見なければ分からないことばかり。写真やテレビなど報道で知ったことと、現にその場に立って感じる空気はそこでなければ分からないことが多く、いろいろなことを考えさせてくれました。
第一堤防宮古市田老地区
昭和8年津波後の第一堤防のみ残る新しい堤防は跡片もなし
3階まで津波の被害
たろう観光ホテル(この6階で津波のビデオをみました)
正面の家のすぐ下まで津波
高台の家の下は町が全く存在しない
浄土ヶ浜
一艘だけ残った観光船上から
盛岡から宮古へでて、国道45号線で三陸海岸を大船渡、陸前高田と通り気仙沼から仙台まで戻るバス旅行でした。龍泉洞、北山崎展望台、浄土ヶ浜の景勝地は観光客減少、土産物販売、レストランなど復旧はいまだ。被害の無かった家屋の住民も、仕事や生活施設の喪失が続いている。三陸の半島の付け根に作られた町や集落 はどこも津波で喪失。ただ、湾の形や地形などにより被害の状況は異なる。宮古市田老地区と陸前高田で地元の方々から、津波被害と復興の現状についた説明を受けました。

陶芸教室 秋 2012年 井崎陶工房 

今年の陶芸教室では、“ちょっといいなあ”と手にとりたくなる作品が次々うまれています。
◎呉須絵アスパラ文皿(Sさん)・・・・◎萩土湯のみと小鉢(INさん)・・・・◎呉須草花文鉢(Kさん)・・・・・◎手びねり皿(Mさんのうさぎ絵)