気仙沼は昨年八月に来た時に比べれば、整備され人の動きもありました。が、町が戻ってきたり、新しい町が形成されたと言える状態には、まだ長い時間が必要と感じました。
気仙沼の港にたくさんの漁船が戻っていました。もっと多くの船が寄港するには、周辺設備が整うことが必要。最近、漁協のビルが建って、少し元気が出てきましたと地元の人の期待を含めた言葉を聞きました。
魚市場は取引の終わった時間なのできれいに片付いていました。歩いているうちに大粒の雪が降ってきて、傘をさせないほどの強風が吹いてきたので、いそいで紫市場の寿司屋に入りました。おいしい寿司にお銚子一本の心地よい昼飯になりました。ここの仮設の店は、2年契約のため先が見えないし、地盤の整地や区画の整理が何年先になるのか、本格的に店を開けるのはいつになるのかなあ・・・・。
気仙沼線はBRT(電車の軌道を使ったバス路線)ができた。けれども、バスになると電車に戻れないのでないかと地元では反対もあると聞きました。南気仙沼から元吉までこのバスに乗りました。思っていたのと違い、軌道敷を使ったBRTの部分はごくわずかで、ほとんどは既存の道路を使う普通のバス路線。まえの軌道は津波被害の荒涼とした荒れ地の中。周りには家もなく人のいない場所で、線路を引いて復活するのは今はとっても無理な状態。見えないところの、橋やトンネルの被害が大きく元へもどすのは難しいのでないかと地元の人の意見。
上は気仙沼線元吉駅。さびた鉄橋がら見た駅は、人が入らず、草が茂り、線路はさびで赤くなっています。
気仙沼の現状。去年の8月に来た時から、気仙沼は人が増え整備が進んでいます。が、現在は、コンクリートの建物をこれから壊す段階。住宅地は基礎の石やコンクリートを壊すのがこれから。道路の位置変更がされるらしいが、何年後にできるか不安ですねとは地元の人の言葉。
画面先に見える整地中の現場には、がれきを区分し大きな山ができていました。感心したのは、木片を砕き、土に戻す作業が進んでいることでした。・・・・・。
◎陶工房の作品をお知らせします ◎陶芸工房:京王線平山城址公園駅徒歩7分の住宅地にあります。・・・・・・◎井崎の近況(2014年1月から)は、右横下のリンク「禮三郎日記」をクリックしてご覧ください。・・・ ◎アンサンブルJ合唱団のホームページへもリンクできます。
2012年12月10日月曜日
近況 11月 旅行 東北
11月 東北へ行きました。今回は4人旅を挟んで前後一人旅の五日間でした。
行程・・・・新宿(夜行バス)→仙台→気仙沼→仙台→松島・塩釜・多賀城→仙台→会津若松(高速バス)→新宿
瑞巌寺・本殿修理中のため特別公開の廟所への通路
多賀城石碑(石碑を覆う建屋・松尾芭蕉はこの石碑を観に訪れて感激したとの言い伝えあり)
多賀城史跡の基礎石(前に柵が見えるように現在整備中)
会津鶴ヶ城(飯盛山の近くの和田地区に自家栽培十割手打ちそばの店を見つけました、昼なので天ぷらに銚子いっぽんだけにしましたが、満足おいしい昼ごはんでした)
私は、旅行先でガイドブックにない街中・裏通りを迷子になって歩くのが趣味(自分流の楽しみ)です。今回は、飯盛山と会津若松駅の間の公園横を通ったところ、震災仮設住宅がありました。岩手県の仮設に比べれば広く、町なかなので住み心地が少しは良いだろうなと思いました。が、この仮設は大熊町の住宅・・・原発がら避難している町です。・・・・・・。
行程・・・・新宿(夜行バス)→仙台→気仙沼→仙台→松島・塩釜・多賀城→仙台→会津若松(高速バス)→新宿
瑞巌寺・本殿修理中のため特別公開の廟所への通路
多賀城石碑(石碑を覆う建屋・松尾芭蕉はこの石碑を観に訪れて感激したとの言い伝えあり)
多賀城史跡の基礎石(前に柵が見えるように現在整備中)
会津鶴ヶ城(飯盛山の近くの和田地区に自家栽培十割手打ちそばの店を見つけました、昼なので天ぷらに銚子いっぽんだけにしましたが、満足おいしい昼ごはんでした)
私は、旅行先でガイドブックにない街中・裏通りを迷子になって歩くのが趣味(自分流の楽しみ)です。今回は、飯盛山と会津若松駅の間の公園横を通ったところ、震災仮設住宅がありました。岩手県の仮設に比べれば広く、町なかなので住み心地が少しは良いだろうなと思いました。が、この仮設は大熊町の住宅・・・原発がら避難している町です。・・・・・・。
2012年11月25日日曜日
陶芸教室 冬 2012年 井崎陶工房
井崎陶工房・陶芸教室の最近の作品です。
①菓子鉢、伊賀土の皿と碗・・・“手びねり”のAさんの作品
②萩土のマイカップ、白マット釉の皿、呉須釉の碗・・・・INさんの作品
③葛の葉や蕗の葉などを押した皿・・・・Tさん、WSさんの作品
④萩土白萩釉のぐいのみ、伊賀土白マット釉の鉢、木灰釉の皿、鉄赤に天目釉二重掛けの皿と蓋物・・・・・Mさんの作品
・・・・どれもいいものができました・使うのが楽しみです・・・・・
①菓子鉢、伊賀土の皿と碗・・・“手びねり”のAさんの作品
②萩土のマイカップ、白マット釉の皿、呉須釉の碗・・・・INさんの作品
③葛の葉や蕗の葉などを押した皿・・・・Tさん、WSさんの作品
④萩土白萩釉のぐいのみ、伊賀土白マット釉の鉢、木灰釉の皿、鉄赤に天目釉二重掛けの皿と蓋物・・・・・Mさんの作品
・・・・どれもいいものができました・使うのが楽しみです・・・・・
2012年11月14日水曜日
近況 旅行 東北 10月
市街地として被害が最も大きかったと思われる陸前高田市 町がひとつ全くなくなった様子
陸前高田の松原展望の絶景地点という場所でガイド新沼さんの説明を聞く
正面の白い構造物が両脇の堤防が跡片もなくなり、これだけ残った水門
左手の方に伊達正宗の時代から創られた美しい松原があったとのこと
市庁舎前で合掌した後説明を聞く
この市庁舎の右手に体育館、正面に公民館があり、それぞれ避難所になっていた。どちらも避難した方が百人以上亡くなったとのこと。避難所の記憶と防災の反省を残すため建物を保存すべきとの意見もある。が、年度内に処分しないと国の予算がつかないので近く壊すことが決まった。
(市庁舎の左手裏に同じ高さのスーパーマーケットの残骸があった。ここでは客も従業員も全員高台に避難して一人の死者も無かったという。何がいいと簡単には言えないが、検証が必要か)
この間にも、市庁舎や公民館あとなどを訪れて合掌する人が絶えなかった
瓦礫の撤去がすすむ
一本残った松を保存するとの話は大きく報道されていたが、地元では異見もあったようだ。土地をかさ上げして現在地を復旧する方針だが、5年後、8年後、10年後にどこまで進んでいるのか。地元の人の話は、いつまでかかるか分からないという本音と、短期間の復旧を期待する二つの間を行きつ戻りつしているように聞こえる。2012年11月13日火曜日
近況 旅行 東北 10月
岩泉、宮古周辺被害の少ないところでも生産手段の喪失、観光客の激減で復興の取り組みはこれからの状況
三陸鉄道田野畑駅から陸中野田駅まで乗りました。
宮古で泊まったホテルの空き地には数百戸の仮設住宅に千人が居住。狭い土地にびっしりと建つ仮設住宅はテレビで見る印象とは全く異なり、生活の困難さがうかがえる。その先々で出会った道路脇の狭い駐車場に建つ仮設住宅などは周囲に何もなく孤立した小集落。車がなければ何もできないところで、何年も暮らさなければならない苦労がしのばれる。
三陸鉄道田野畑駅から陸中野田駅まで乗りました。
宮古で泊まったホテルの空き地には数百戸の仮設住宅に千人が居住。狭い土地にびっしりと建つ仮設住宅はテレビで見る印象とは全く異なり、生活の困難さがうかがえる。その先々で出会った道路脇の狭い駐車場に建つ仮設住宅などは周囲に何もなく孤立した小集落。車がなければ何もできないところで、何年も暮らさなければならない苦労がしのばれる。
近況 旅行 東北 10月
10月下旬東北へいきました。被災地を通るツアーは、企画した旅行社もそのようでしたが、参加する旅行者としてもちょっと気が引けるような気持がありました。ところが、やはり行って見なければ分からないことばかり。写真やテレビなど報道で知ったことと、現にその場に立って感じる空気はそこでなければ分からないことが多く、いろいろなことを考えさせてくれました。
昭和8年津波後の第一堤防のみ残る新しい堤防は跡片もなし
たろう観光ホテル(この6階で津波のビデオをみました)
高台の家の下は町が全く存在しない
一艘だけ残った観光船上から
盛岡から宮古へでて、国道45号線で三陸海岸を大船渡、陸前高田と通り気仙沼から仙台まで戻るバス旅行でした。龍泉洞、北山崎展望台、浄土ヶ浜の景勝地は観光客減少、土産物販売、レストランなど復旧はいまだ。被害の無かった家屋の住民も、仕事や生活施設の喪失が続いている。三陸の半島の付け根に作られた町や集落
はどこも津波で喪失。ただ、湾の形や地形などにより被害の状況は異なる。宮古市田老地区と陸前高田で地元の方々から、津波被害と復興の現状についた説明を受けました。
陶芸教室 秋 2012年 井崎陶工房
今年の陶芸教室では、“ちょっといいなあ”と手にとりたくなる作品が次々うまれています。
◎呉須絵アスパラ文皿(Sさん)・・・・◎萩土湯のみと小鉢(INさん)・・・・◎呉須草花文鉢(Kさん)・・・・・◎手びねり皿(Mさんのうさぎ絵)
◎呉須絵アスパラ文皿(Sさん)・・・・◎萩土湯のみと小鉢(INさん)・・・・◎呉須草花文鉢(Kさん)・・・・・◎手びねり皿(Mさんのうさぎ絵)
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